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「腸が破裂した」と聞いて、私は何も言えなかった。産業保健師から看護師に転職した日の話

「腸が破裂した」と聞いて、私は何も言えなかった。産業保健師から看護師に転職した日の話

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目次

保健師って、看護師から転職する人が増えていますよね。

でも私は、逆をやりました。

産業保健師として1年働いて、そこから「やっぱり看護師に戻ろう」と決めて、520床の総合病院に転職。

「えっ、なんで?」って何回も聞かれました。夜勤のない働き方を選んだ人が、わざわざ夜勤のある世界に戻る理由って、確かに不思議ですよね。 でも、戻ったきっかけは、本当にひとつの会話でした。お世話になっていた人に「腸が破裂してさ」って言われたとき、私は何も返せませんでした。その瞬間に「あ、これじゃダメだ」と思った話を、今日は書こうと思います。


駅前ビルの健康管理室で、ちょっとOL気分

産業保健師に転職した時の正直な動機を書くと、ちょっと恥ずかしいです。

「なんか、かっこいい」

それだけでした。健診機関で1年半働いて、立ち上げを引っ張ってくれていた先輩保健師が突然辞めることになって、私もタイミング的に動こうかなと考えていた頃。次の職場として選んだのが、IT系企業の健康管理室でした。

駅前のキレイなビル。スーツで通勤。面接はビル内のカフェで、トライアスロンをやっているバリバリ体育会系の上司が「これ雑談?面接??」みたいな空気で話してくれました。

得意げに「バリキャリです」って言いたいわけじゃないんです。むしろ、ちょっとOL気分が味わえたって感じ。不純な動機ですよね、と今でも思います。

仕事は、休職者の産業医面談の調整がメイン。職種柄、精神疾患で休んでいる方が常に5〜8人いる職場で、本人と産業医と会社のスケジュールを合わせて面談を組みます。健診シーズンになると社員200人と全員面談で、データ入力もひたすらやって、声が枯れました。

「保健師として働いている」っていう実感は、確かにありました。

でも、本当の問題はここから始まったんです。


休み明け、対面で聞いた一言

産業保健師として1年が過ぎようとしていたある日、休みから復帰した上司に廊下で会いました。

その人は、私がお世話になっていた支社総務のトップ。トライアスロン上司とはまた別の人で、新人の私と先輩保健師がうまくやれているかをいつも気にかけてくれていた、穏やかで優しい人でした。初めて本社へ出向くときも「不安だよね」ってわざわざ一緒に着いてきてくれた、そんなタイプの人です。

「休んでましたよね。体調はどうですか?」と聞いたら、ちょっと笑いながらこう言いました。

「いやさ、腸が破裂しちゃってさ……」

腸が、破裂。

私の頭の中は、真っ白になりました。出てきた言葉は「えっ、腸が破裂…? どんな病気なんですか??」だけ。それが精一杯でした。

「お腹の調子はどうですか」「便秘はしてませんか」「食事は大丈夫ですか?」など、何も気の利いたことが言えませんでした。看護師免許も保健師免許も持っているのに、目の前にいる「お世話になっている人」に対して、私は何も返せなかったんです。

その時は気づいていませんでしたけど、この一言が私の中で何かを切り替えるきっかけになりました。


「私、何のために保健師やってるんだろう」

家に帰ってから、その会話がずっと頭の中で繰り返されていました。

今の私だったら、たぶんこう考えます。

  • 腸が破裂って、腸閉塞からの穿孔かな?
  • 全身麻酔でオペしただろうし、術後の経過は大変だっただろうな
  • 人工肛門になっている可能性もあるよね
  • 食事制限はどんな感じだろう
  • 日常生活で気をつけることは? お腹に力を入れる動作は?
  • 退院後のサポートは足りているのかな?

ぱっと医療的な視点で、いくつもの問いが浮かびます。それを踏まえて「お腹はもう痛くないですか?」「無理は禁物ですよ」とか、ひとことくらいは添えられたと思います。

でも、当時の私は本当に「????」でした。何も浮かばない。何も聞けない。何も寄り添えない。

そして気づいたんです。

一般の人が看護職に求めているのは、結局のところ医療的な知識や技術なんですよね。

私はその「ベース」を、驚くほど持っていませんでした。新卒で健診機関に行って、その後すぐ産業保健師になって、ずっと「面談する人」をやってきました。臨床の経験が圧倒的に足りていなかったんです。 正直、悔しかったです。そして、怖くもなりました。このまま保健師を続けていったら、ずっとこういう瞬間に何も返せない人のままで終わるのかもしれない、と。

そう思ったら、もう答えは出ていました。

看護師に戻ろう。一度ちゃんと、医療的な土台をつくり直そう。

次に話すのは、その決断のあとに飛び込んだ、520床の病院での日々の話。正直、想像以上にしんどかったです。


520床の病院で、朝夕の申し送りで詰められた日々

転職先に選んだのは、家から通える範囲で一番大きい総合病院。520床くらいあって、「急性期病棟を希望します」と伝えたら、配属は泌尿器科病棟でした。 42床の病棟を、泌尿器と消化器内科で半分ずつ持っている混合病棟。「急性期希望って言ったよね?」って心の中で思いましたけど、まあ手術もあるし急性期っちゃ急性期。受け入れることにしました。 そして面接の時、私はちょっと無謀なお願いをしてしまいました。

「事前に勉強しておきたいので、病棟マニュアルを見せてもらえますか?」

そう聞いたら、看護部の方がその場で病棟に電話してくれて、病棟の看護師さんがわざわざ走ってマニュアルを持ってきてくれました。今思うと本当に申し訳ないです。日勤の忙しい時間に、何でわざわざあの新人候補のために走らせてしまったんだろうって、今でも思います。

そして入職してからが、本番でした。

久しぶりの臨床、というより、私にとっては「初めて本気で向き合う臨床」。健診機関と産業保健師の経験では、点滴も処置も検査もほとんど触っていませんでした。教科書や実習で知っているレベルと、目の前の患者さんに対応するのは、まったく別物でした。 そして、朝と夕方の申し送りの緊張感が、本当に半端なかったです。

「これ何?」 「根拠は?」 「えっ?」 「勉強しといて」

よく分からないまま申し送ると、こうやってビシビシ詰められます。先輩看護師さんたちは別に意地悪なわけじゃなくて、患者さんの命を扱う場だから当然なのですが、当時の私には涙が出るほどしんどかったです。

「いかに詰められないように申し送るか」を、毎日必死に考えていました。前残業して情報を取り、家に帰って病態を調べて、次の日また勉強したことを試して。 この時に鍛えられたのが、

  • 分からないことをそのままにしない
  • 恥ずかしいと思わずに何でも聞く

という、看護師として今も大事にしている根っこの部分。あの厳しさがなかったら、たぶんずっと曖昧な看護師のままだったと思います。

ちなみに、忘れられないエピソードがひとつあって。 チーム制で部屋担当制だったある時期、プライマリーがその日の部屋持ちをするルールに変わって、ちょうどそのタイミングで病棟内の「癖つよツートップ」がそろって私の担当になってしまいました。日勤のたびに受け持ちはその二人。心も体も疲弊しました。主任さんが「ごめんね〜」って同情してくれましたけど、本当につらかったです……。

それでも続けられたのは、次に書く「ある気づき」があったからだと思います。


保健師時代の経験が、看護師として活きた瞬間

きつかった病棟生活の中で、ふと「あれ?」と気づく瞬間が増えていきました。 それは、患者さんの「入院前」と「退院後」を、自然にイメージできている自分に気づいたときです。

「この人、入院のきっかけは何だったんだろう」 「入院する前は、どんな生活をしていた人なんだろう」 「退院したら、どこに帰るんだろう。誰と暮らすんだろう」

たとえば、がんが見つかって入院してきた患者さんに「どうやって見つかったんですか?」と聞くと、「会社の健診で引っかかってさ」って答えが返ってくることがありました。 その瞬間、私の中で線がつながったんです。 産業保健師時代に「数値が高めですね、再検査受けてくださいね」と面談していた人たちは、こういう流れに乗って、こうやって入院してくるんですね。健診のあの一言から、ここに繋がるんですね、と。

入院中の「点」だけじゃなくて、その人の人生という「線」が見える感覚。

これは、いきなり臨床に入った同期にはなかなか持てない視点だったと思います。「病棟マニュアルを覚える」「処置の手順を覚える」だけじゃ見えない、もうひとつの軸を、私は保健師時代の経験からもらっていたんです。 産業保健師時代に「無力だ」と痛感したからこそ、看護師として臨床に戻りました。でも戻ってみたら、その保健師経験が、別の形でちゃんと活きていました。 正直、ちょっと不思議な感覚でした。「あの1年は遠回りだった」と思っていたのに、まったく無駄じゃありませんでした。むしろ、私だけの強みになっていたんです。


おわりに:「逆走」だったけど、後悔はしていません

産業保健師から看護師に戻った私の選択は、たぶん多くの人から見たら「逆走」だったと思います。 夜勤のない世界から、夜勤のある世界へ。デスクワーク中心から、走り回って汗だくの病棟へ。穏やかな面談から、ビシビシ詰められる申し送りへ。

それでも、この回り道があったから、点だった看護師の知識が、線として人の人生に重なっていく感覚を持てるようになりました。「腸が破裂した」と言われて何も返せなかったあの日の自分には、今ならいくつか言葉をかけられる気がします。

でも、私の話はここで終わりません。

この後、私はまた次のステップへ向かうことになります。きっかけは、結婚と、知らない田舎の小さな町。「ここで総合病院に勤めたら、入院患者さんみんな知り合いになるじゃん」と気づいた時、私は前から気になっていたあの仕事を、ようやく現実的に考え始めるんです。 その話は、また次の記事で書こうと思います。


もし「次が気になる」と思ってもらえたら、Xでフォローしてもらえるとうれしいです。保健師→看護師→訪問看護師→地域包括、と転々とした私のキャリアを、これからも順番に書いていきます。